初心者なのに倶留尊山登ったよ

 

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登山やりてぇ!と思ったのは、栗城史多さんの「NO LIMIT」を読んだから。しかも、高校生のとき。

 

登山家はカッコいい。とずっと思ってた。

 

 

あれから、5年くらい経つのかな。ようやく、登山始めた。

 

登山を始めた。と言っても、本当に何もわからないし、お金がないので装備は買えず。

でも、とりあえずさ登ってみようよと言って、三重県奈良県にまたがる倶留尊山(くろそやま)を登ることにした。

 

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本当は倶留尊山に行く途中の曽爾高原(そにこうげん)だけでも行けたらいいやと思ってた。

 

山登るのは体力的にキツそうと思ってたから。

 

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曽爾高原はこんな感じで、秋はススキがとても綺麗。

 

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そうこう言ってるうちに、標高900mのところまで来て、あれまだ全然行けそうだわ。あと100mくらい余裕だわ。って言って、グングン登って言ったのだけど、 

 

実は僕の格好は、ジーパンにスニーカーでした。

 

 一番はじめに登ったのが金剛山だったので(全ての道が舗装されている山)、登山靴じゃなくても大丈夫そうかなって思ってた。

 

完全になめてました。山をなめてました。

 

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そして、たどり着いた二本ボソのてっぺんです。

 

ちなみに、この標高は二本ボソを登った人がてっぺんで測って、わざわざ家に帰って作って来てくれたらしい。

やから、数字が少し違うねん。

 

って、小屋にいた管理人に教えてもらった。

 

 倶留尊山まで行く体力はもうなかったけど、日本300名山の一つ。って言われたら、登るしかないってなってしまったよね。

 

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気力で登った1000m級の山、良かったよ。

 

次はちゃんと登山靴を履いて行きます。

朝鮮の南北分断を象徴する、北朝鮮との軍事境界線「板門店」

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どうも、haruki(@harukinmk)です。

 

北朝鮮がミサイルを発射する回数が多くなり、ニュースを見ると北朝鮮が話題に上がることが増えました。

 

そんな北朝鮮を唯一見れる場所が板門店です。

 

もちろん、北朝鮮に行くのが一番見れます。しかし日本と北朝鮮は外交がないので、今回は除きました。

 

板門店は韓国と北朝鮮との軍事境界線にあります。

 

ここ板門店はツアーを申し込まないと行けない場所です。日本語ツアーもありますので、英語が不安な方でもツアーに申し込むことができます。

 

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配られたパンフレットより

韓国と北朝鮮軍事境界線を挟んで南北それぞれ2kmずつ、合計4kmにわたる地域を非武装地帯(DMZ)と言います。今回、非武装地帯を通り共同警備区域(JSA) に入りました。

 

【目次】

 

 

板門店と日本の関係

 

 

1980年から日本の植民地であった朝鮮半島は1945年8月15日に日本が降伏し、35年の植民地支配から解放されました。

 

しかしその後、朝鮮半島の中央部を横切る北緯 3 8度線を境界線とし 、南側を米国 、北側をソ連の管轄地域とし、朝鮮半島に2つの国家が出来てしまいました。

 

しかし現在の軍事境界線は、その境界線ではなく、朝鮮戦争の後に作られました。

 

北朝鮮軍が1950年に北緯 3 8度線を越えて韓国に攻め込み、国連軍(アメリカ中心)や中国の兵が参戦して戦争は泥沼化しました。1953年に休戦協定が締結された時には 、開戦前とあまり変わらないところで軍事境界線が引かれました。

 

この朝鮮戦争のことを、日本の高校の教科書では、

 

アメリカ軍による膨大な物資とサービスの需要を生み出し、(略)日本経済復興の大きな要因となった。

 

と書いています。

 

つまり、日本が朝鮮半島を植民地としていたため、アメリカが朝鮮半島を管轄することになりました。

 

このことから現在も続く南北分断に日本も関わったことがわかりました。

 

さらに、朝鮮戦争のおかげで日本は復興していました。

 

 

板門店に入る前にサインをする 

 

板門店で起こった事件などについての映像を見終わってから、宣言書が配られました。

f:id:harukinmk:20171112165922j:image宣言書

 

一行目から重い内容が書かれていました。

 

1.板門店の共同警備区域への訪問は、敵性地域への立ち入りを意味し、敵の行動によっては危害をうける、又は死亡する可能性があります。

(略 )

また、事変・事件を予期することは出来ませんので国連軍、アメリカ合衆国及び大韓民国は訪問者の安全を保障することはできませんし、敵の行う行動に対し、責任を負うことはできません。

 

死亡する可能性がありますが、責任は負えません。と書かれた宣言書にサインをしてから、共同警備区域に入りました。

 

共同警備区域

f:id:harukinmk:20171106224828j:image 手前が韓国側、奥側が北朝鮮

 

ベルリンの壁よりも歴史は長い。しかし、ベルリンの壁のような高い壁ではなく、子どもでも行き来できるような壁があるだけでした。

 

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 北朝鮮側の扉を背にして守る韓国兵士。ヘルメットには韓国語で憲兵の意味のハングル文字が書いてある。

 

ここで警備できる人は高身長でなければならず、武道で黒帯を持っていなければならないそうです。

 

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会議が行われる場所。このテーブルの真ん中がちょうど軍事境界線上にあたる。

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北朝鮮の兵士

 

トランプ氏が来韓する数日前だったので、北朝鮮は挑発行動を控えていました。なので、兵士は一人だけ。その兵士も見学の途中で建物の中に入ってしまいました。

 

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韓国の兵士

 

ピリッとした雰囲気を出して案内してくれたのですが、兵役で板門店に配属された学生だったので、20代前半の人たちでした。案内が終わると笑顔で去って行きました。

 

 

韓国の若い人たちは、どう思ってるの?

 

 

韓国で出会った、日本に留学に来ている学生は北朝鮮の核保有についてこう話していました。

 


大体の韓国人は北朝鮮の核の問題とかについて、ほとんど無関心です。逆に日本に来て、日本人の方が韓国人より北朝鮮の核を警戒する社会を見て、少し驚きました。
毎日、ニュースで北朝鮮の核実験や挑発を報道していますが、皆、あまり気にしていないです。

 

 

 (避難訓練などは)何十年間かずっとやっていますが、市民はそんなに積極的に訓練に参加していないです。

 

逆に日本はつい最近から、北朝鮮がミサイル発射した時に、Jアラート(全国瞬時警報システム)が鳴るようになり、避難訓練なども実施されている。

 

JSAで亡命

2017年11月13日に北朝鮮の兵士が亡命しました。

 33年ぶりに板門店で銃が使われたとのことです。

 

www.youtube.com

 まとめ

 

 

板門店に行くと緊張感は確かに感じましたが、危険か安全なのかはわからなかったです。

 

わからないから、怖かったです。

 

ツアーの最後にガイドさんが言った、

 

「日本語で『平和ボケ』という言葉が羨ましいです。わたしは生まれてから、まだ一度も平和を感じたことがありません。」

 

この言葉が忘れられません。

 

 

 

それでは!

ブラジル・リオの貧困街「ファベーラ」を歩く。

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どうも、haruki( @harukinmk)です。

 

ブラジルから帰国してから会った友人に
「日本から下に向かって大声で呼びかけてんけど、聞こえた?」
って言われたけど、なにも聞こえませんでした。


そんな日本から地理的に反対にあるブラジルに行ってきました。
ブラジル・リオデジャネイロで有名な観光地、コパカバーナ海岸は知っていますか?

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コパカバーナ海岸はビーチサッカーをしたり、ビーチバレーを楽しむ人がたくさんいる平和な海岸ですが、そんな海岸のすぐ近くにもファベーラ(貧困街)はあります。

 

【目次】

ファベーラ の入り口f:id:harukinmk:20171017133805j:image

ファベーラの入り口は何個もある。

 

ファベーラの入り口には警察車両が監視にあたっていました。

警察車両がなければ、ここがファベーラの入り口だと気づかないくらいです。

 

そして、細い路地を抜け、急な階段を登っていったところにファベーラはありました。

 

ファベーラで人とすれ違う

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 さっきとは違い、車も通れる入り口からも覗いてみた。

 

ファベーラに行く前に、さすがにどんなところなのか少し調べました。

 

グーグルで検索するとギャング、 殺人、ドラッグといった文字が並んでて、ああ危険だな。と頭では理解していたものの、実際着いてみると確かに他と雰囲気が違うので、恐怖に襲われました。

 

間違いなく外国人だとわかってしまうので、襲われるんじゃないかと思い、警戒心を剥き出しにして歩いてました。

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特に、細い路地で男性とすれ違うとなると、何かあったときに逃げる事すら出来ないので、すれ違うたびに息を呑み、冷や汗をかいていました。

 

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 まとめ

 

 ブラジルの治安はあまりよくなく、コパカバーナ海岸近くの大通りを通っているときに、バス停で喧嘩が始まり、1人を10人くらいで殴る、蹴る、スマホと財布奪い取るところを見てしまいました。

 

さすがに、日本では起こらないようなことが日常で起こる、危険な地域において、用心することは必要だと思います。

 

しかし、ただ生活してるだけの人を偏見の目で見てしまったことを恥ずかしく思いました。

 

 

それでは!

 

フィリピンのスラム街「スモーキーマウンテン」の今を見てきた話。

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どうも、haruki(@harukinmk)です。

 

 

途上国と呼ばれる国に住む人々に興味を持ってから、ある写真が目につくようになりました。

 

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「スモーキーマウンテン」と検索すると出てくるこの写真です。

 

ごみ山の中で作業する人の姿が印象的なこの写真はいつまでたっても忘れることができず、ついに行ってみたいと思うようにまでなりました。

 

今、ごみ山はどうなっているのか、フィリピン・マニラにあるスモーキーマウンテンに行ってきました。

 

【目次】

 

スモーキーマウンテンとは

 

 

 

スモーキー・マウンテン(英語: Smokey Mountain)とは、フィリピンマニラ市北方に位置するスラム街のことである。名称の由来は、自然発火したごみの山から燻る煙が昇るさまから名付けられた。

かつては海岸線に面した一漁村であったが、1954年に焼却されないゴミの投棄場になった。それ以来からマニラ市内(マニラ首都圏)で出たごみが大量に運び込まれ、ゴミの中から廃品回収を行い僅かな日銭を稼ぐ貧民(スカベンジャー)が住み着き、急速にスラム化した。

1980年代後半頃から、フィリピンの貧困の象徴として扱われるようになった。政府は、国のイメージが損なわれることを理由に閉鎖を決断。住民は、公共住宅をあてがわれ強制退去させられたが、一部の住民はスモーキー・バレーをはじめとする別の処分場周辺に移り住み、従来通りのスカベンジャーとしての生活を続けている。

引用元:スモーキー・マウンテン - Wikipedia

 

スモーキーマウンテンに向かう

 

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ジプニーと呼ばれる乗り合いバス

 

スモーキーマウンテンに行く道順を紙に書いてもらい、マニラの中心街からジプニーを3回乗り継ぎました。

 

1回乗って7ペソなので16円くらいでしょうか。往復だいたい100円の計算です。

 

安い。

 

しかも、ジプニーをはじめて乗ったとき、バスの乗り方が分からず無賃乗車してしまいました。本当に申し訳ない。

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親切なおじさんや、おばちゃんに助けられて乗り継ぎの場所などを教えてもらいました。

しかし、どこに行くの?と聞かれて、

スモーキーマウンテンに行きます。と答えていると、

 

「スモーキーマウンテンに一人で行くのは本当に危ないから、日が沈む前に帰りなさい。」

 と忠告されました。

 

 現地での人でも危ないと思うのか、その地域を避けるのかと思うと残念でたまりませんでした。

 

そして、確かにスモーキーマウンテンに近づくに連れて、明らかにジプニーの雰囲気が変わっていきました。

 

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 「ここだよ」と降ろされた場所は異様な雰囲気を醸し出していて、川にはたくさんのごみが浮いていました。

 

 どんな暮らしをしているのか?

 ぼくのイメージは写真の通り、ごみ山からお金になるものを取ってきて、換金して生活するというものでしが、現状は全く違いました。


f:id:harukinmk:20170703110611j:image生ゴミからでる悪臭はしないです。たくさんの種類のゴミを細かく分別しているようでした。
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出会った子どもたちに案内してもらいました。

 

ごみ山はなく、全て埋め立てられていました。ほんの少しごみが見え隠れしている程度でした。

 

驚いたのは、この埋立地でバナナや野菜を栽培していたことです。

 

さらに運動場のような場所もできていました。

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簡易なバスケットゴールがあり、運動できるスペースがありました。

f:id:harukinmk:20170703104000j:image スモーキーマウンテンから見える、発展しているマニラの中心部。

 

もちろん、スモーキーマウンテンに住んでいる人もいますが、ほとんどの人はスモーキーマウンテンのすぐ横にある集合住宅に住んでいます。

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集合住宅の中も案内してもらいました。

 

家の中は家族で住むにはすこし狭いですが、この雰囲気を例えるとしたら、一人暮らしの大学生の家の中とよく似ています。カオスな感じがね。

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テレビゲームをやっている子やフェイスブックをやっている子、様々です。

 

奥に進むと共同スペースがあり、パソコンやゲーム機が並んでいました。中学生くらい子はフェイスブックのアカウントを持っていますし、メッセージのやりとりもしていました。

 

住宅内にこのようスペースがいくつもありました。

 

まとめ 

 パソコンに触れる機会があることは驚きでした。各階の共同スペースにパソコンが何台も並べられていました。

パソコンがあって、インターネットに接続できることは貧困層から抜け出せる可能性があるということだと思います。

 

 それに、フリースクールが見つけただけでも2つありました。

 

 

イメージしていたごみを漁る姿はどこにもなく、まだまだ問題は山積みかもしれませんが、ぼくの目には普通の集合住宅に見えました。

 

 

 

それでは、また!

 

 

 

金沢にある「鈴木大拙館」の雰囲気が好き。

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どうも、harukiです。

 

 

学生の特権を利用して、金沢にやってきました。

harukinmk.hatenablog.com

 

21世紀美術館の後はここ、「鈴木大拙館」に足を運びました。

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21世紀美術館から歩いて10分ほどのところに「鈴木大拙館」はあります。

 

大通りから一本外れたところにあるため、21世紀美術館とは異なった静かな雰囲気がありました。

 

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すっと伸びる通路に心が静まります。

 

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「思索空間」

 

ぼくは休憩するために使っていましたが、ここは「思索空間」言われ、ゆっくりと座って物事を考えることのできるスペースです。

 

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次に、思索空間で見てもらいたいのが光。通路でも見た、細い光がここでも使われています。

 

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「水鏡の庭」

 

 「水鏡の庭」は、まさしく鏡のよう。なにも考えず、ただひたすら眺めていられる風景でした。

 

まとめ

 

建築の詳しいことはなにもわかりませんが、静かな雰囲気が好きになりました。

 

 

観光地の人混みに少し疲れたなと思ったら、休憩がてらにでも寄ってみてください。

 

 

もちろん、時間のある人は必見です。

 

鈴木大拙

 

 住所 : 〒920-0964 石川県金沢市本多町3丁目4番地20号
TEL:076-221-8011
ホームページ : http://www.kanazawa-museum.jp/daisetz/index.html

 

それでは、また!

「21世紀美術館」で見つけた、カラフルで綺麗なごみ。

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どうも、harukiです。

 

美術館にあまりご縁がないのですが、

せっかく金沢に来たということで、21世紀美術館に行きました。

 

【目次】

21世紀美術館

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 「カラー・アクティヴィティ・ハウス」

オラファー・エリアソン

 

到着するなり、美術館の周りに面白いガラスの壁がありました。

 

このガラスの壁は色の三原色である、

シアン(青緑)、

マゼンタ(赤紫)、

イエロー(黄色)、

の3色で成り立っています。

 

見る場所によって、壁の2色が交わって違う色が見えてくる作品です。

 

他にも、美術館の周りには好奇心をくすぐるような作品がありました。

 

f:id:harukinmk:20170820231034j:image スイミング・プール

レアンドロ・エルリッヒ作

 

中に入ると、有名な「スイミング・プール」も見ることができます。

 

プールの下に行き、上を見上げることができる作品です。もちろん、水はありません。

 

「ヨーガン レール 文明の終わり」

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プラスチックボトルで作られた作品。

 

展覧会の中でも特に印象に残っているのが「ヨーガン レール 文明の終わり」です。

 

自然とともに暮らし、その尊さを伝えてきたデザイナー、ヨーガン レール(1944-2014)が「最期の仕事」に選んだのは、深刻な環境の問題に向かい、海岸に打ち寄せられた廃品のプラスティックから美しい照明を作り出すことでした。

引用元:金沢21世紀美術館 | ヨーガン レール 文明の終わり Jurgen Lehl The End of Civilization

 

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 漁網のロープで作られた作品。

 

ただただ綺麗だなと思うのと同時に、

「綺麗」という言葉にあふれる室内で、綺麗だったとそれだけで終わらすことが何よりも危険に感じました。

 

ごみを価値あるものと考える、そんな世界にしたいものです。

 

まとめ

 

21世紀美術館は参加型なので、子どもから大人まで楽しめる美術館です。

 

 「ヨーガン レール 文明の終わり」は終了しましたが、金沢に行く方はぜひ21世紀美術館まで足を運んでみてください。

 

 

21世紀美術館

 

所在地:〒920-8509石川県金沢市広坂1-2-1
Tel:076-220-2800 (代表)
ホームページ : https://www.kanazawa21.jp 

 

 

それでは、また!

大虐殺を加害者側が再現した映画「アクト・オブ・キリング」のシーンが眼に焼きついて離れない。

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 どうも、haruki です。

 

 

 

先日、 友人から「きっと気に入ると思うよ」と紹介されたドキュメンタリー映画を観て衝撃を受けました。

特に予告編から衝撃的だった映画は初めてでした。

 

 

 

予告編にこんな言葉が出てきました。

「あなたが行った虐殺を、もう一度演じてみませんか?」

 

 

 

 

なんだそれは????

 

 

 

 

と思いましたよね?

 ぼくは思いました。

 

【目次】

 

 

 

アクト・オブ・キリング

 

衝撃の予告編はこちら

 

youtu.be

 

 

この映画は60年代のインドネシアで行われた100万人規模の大虐殺を加害者側が再現した映画です。

 

殺し方や痛めつけ方を加害者側が再現したのです。

 

 

大虐殺の経緯など、詳しい内容は以下です。

 

 読み飛ばしても大丈夫です。

この映画は、1965年9月30日深夜にインドネシアで発生し、この国のその後の運命はもちろんのこと、国際関係にも大きな変化をもたらした、いわゆる「9・30事件」後の大虐殺を描いたドキュメンタリーである。これは大統領親衛隊の一部が、陸軍トップの6人将軍を誘拐・殺害し、革命評議会を設立したが直ちに粉砕されたというクーデター未遂事件であるが、それだけでは終わらず、未曾有の大混乱をインドネシア社会に呼び起こした。9・30事件そのものは未だにその真相が明らかになっておらず、陸軍内部の権力争いという説も強いが、当時クーデター部隊を粉砕し事態の収拾にあたり、その後第二代の大統領になったスハルト少将らは、背後で事件を操っていたのは共産党だとして非難し、それに続く一、二年間にインドネシア各地で、100万とも200万ともいわれる共産党関係者を虐殺したのである。そしてそれに対して、日本や西側諸国は何ら批判の声を上げることなく口をつぐんだのであった。

引用元:映画「アクト・オブ・キリング」|公式サイト

 

 注目のシーン

  •  車の中でのアンワル・コンゴの表情の移り変わり

 

主人公のアンワル・コンゴが車の中で見せる表情がどんな風に移り変わっていくのかを観て欲しいです。

 

 

 

  • スルヨノが継父のことを告白したシーン

 

アンワルの隣人・スルヨノが加害者側に華僑の継父が殺されたことを告白した時の表情が忘れられません。

 

アンワルが嘔吐するシーンと虐殺のシーンにインパクトがありすぎて、このシーンを忘れる人もいるのですが、ぜひここは注目して観てください。

 

 

 

  • アンワルが嘔吐するシーンと虐殺のシーン

 

この二つは嫌でも注目してしまうでしょう。この作品が人々に与える影響の7割がここのシーンだと思います。

 

 

まとめ 

はじめは、アンワルがあまりに残虐な行為を嬉しそうに話すので、フィクションのような雰囲気が出ていて、退屈な映画だと感じてしまいました

 

 

しかし、中盤に近づくにつれ、これはノンフィクションだったと気づきます。

 

 

そして終盤のアンワルが嘔吐するシーンと虐殺のシーンが眼に焼きついて離れなくなりました。

 

眼に焼きついた、という表現があまりにもよく合う映画でした。

 

 

 

 一度観ただけではこの作品を理解できなかったので、また何年か後に観ます。

 

 

 

それでは、また!